死後、木になる
わたしの好きな言葉に『天網恢恢疎にして漏らさず』というのがある。
“天には悪人をとらえるための見えない網が張りめぐらされていて、その網の目は粗いものではあるが悪いことをした人間を一人も逃すことはない”という意味だ。
わたしは常日頃から悪人全員に死んでもらって、もう二度と生まれ変わってほしくないと思っている。
100歩譲って死ななくてもいいからどうか不幸せそうに生きてほしい。
『もうあいつは十分報いを受けた』と思わせてほしい。
卑怯な人、ずるがしこい人、わがままな人。
私が神だったら全員落雷で感電死させていたと思う。
わたしが神様じゃなくて本当に良かった。
わたしは夫と時々宗教の話をする。
『人は死んだらどこに行く?』
『あの世って宇宙?』
『魂はどこにあると思う?脳?心臓?』
『そもそも宗教って何?』
私は昔から宗教や哲学の話をするのが好きで、独身の時はよく母と話し合っていた。
結婚してからはもっぱら夫と話し合う。
私は無宗教だが、夫は仏教徒だ。ちゃんと入信している。観光で神社に行く時も絶対鳥居はくぐらない。
そんな夫と宗教話をすることで仏教的考えに触れることができてとても嬉しい。
いつかほかの宗教の人ともこうゆう話をしてみたいが、私は本当のことを知りたい気持ちから結構無神経な質問をしたりするので自重している。
『信者は上の人から言われたことを言われたとおりにやってるだけで教えについて自分では何も考えてないんじゃないか』とか、夫以外の人に言ったら多分怒るだろうし二度と話をしてくれなくなる気がする。
わたしの無知で無神経な質問にも怒らず解りやすいように話を続けてくれる夫は懐が広い。
人間は嫌いだが、夫は好きだ。
『これぞ私の夫』といわんばかりに夫も人間嫌いだ。
ソーシャルネットワーク的瀕死状態の夫婦である。
日中はたがいの職場で人とのコミュニケーションに精神をすり減らし、最後の力を振り絞って帰宅する。
休日は二人ではしゃぐ。ずっと家の中。踊って歌って、食う、寝る、遊ぶ。
そして休日が終わり、また魂を搾り取られる毎日が始まるのだ。
きっと私たちはこれからもこの世界の人間になじめず、老いて朽ち果てていく。
人間関係が億劫で外との接触を遮断する私たちはきっとあの世でも人を避け続けるに違いない。
2人そろって木の中も悪くないね。