悪い人
わたしは昨日1つ悪いことをした。
昨日はずっと雨だった。
わたしはいつも歩いて通勤しているので、雨の日には傘が必須だ。
夫にわざわざ傘だけを持ってきてもらえないかLINEするのも申し訳なかったし、多分職場の休憩室に誰も使っていない古びた置き傘が1本くらいあるだろうとたかをくくってそのまま職場に行くことにした。
幸い、行きは濡れることなく職場に着いた。
更衣室で仕事着に着替える際、わたしは本当に勝手に借りても良さそうな置き傘があるのか確認をせずに作業場に向かってしまった。
わたしは15時に退勤する。
他の人たちはみんな17時まで働いている。
しかし私の思い描いていたような『いかにも』な置き傘は見当たらなかった。
どうしよう、困った。
外は雨。
迎えに来てもらおうにも夫はもう出勤している。
悩んだ挙句、わたしは傘置き場の一番奥にかけられていたビニール傘を拝借した。
「やっぱり傘を元の場所に戻して濡れて帰ろうか」と考えた。
窓の向こうから雨のサラサラ降り続く音が聞こえる。
わたしは傘をさして帰ることにした。
雨の中、傘を差す。
雨はそこまで激しくはなかったが、傘がなければかなりびしょぬれになっていただろう。
わたしは傘の有難味を感じれば感じるほど罪悪感が募っていった。
傘の内側の骨組みのところに何かシールが張られていた。
ちょっと罪悪感が減った。
でも私はもともと骨が折れていたからこの傘を選んだわけではない。
たまたま骨が折れていただけなのだ。
それに当然だが骨が折れたからと言ってわたしの罪が軽くなるわけでは全然なかった。
一度減った罪悪感はパワーアップしてしまった。
どうかこの傘が何年もあの場所に置かれたままになってる置き傘でありますように。
もしそうでなくても夕方みんなが帰るころには雨が止んでいて、この傘の持ち主も傘を持ってきていたことを忘れて帰っていますように。
そんな自分勝手なことを考えていた。
わたしの好きな言葉に「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉がある。
そう、まさにその悪人が私だ。
おてんとさまは私を逃さない。帰り道、もしこの傘の持ち主が後ろから追いかけてきていて大声で「ドロボウ!!」って叫ばれたらどうしよう。
この傘は一見普通のビニール傘に見えるが実は雨にぬれると持ち主にしかわからない文字が浮かび上がる高性能の傘で、通行人の中に傘の持ち主の知り合いがいてその文字を発見して私が勝手に拝借したことに気づいて本人にチクったりしたらどうしよう。
はたまた、勝手に傘を拝借した罰で突風が吹き、その風に私だけ吹き飛ばされてたまたま通った大型トラックにはねられたらどうしよう。
そんなことを考えながら歩いて行った。
しかし何事もなく無事家に着いてしまった。
夜仕事から帰った夫に「あのビニール傘どうしたの?」ってきかれたらなんて答えようと思った。本当のことを話して軽蔑されたらどうしようと思った。わたしだったら軽蔑する。
しかし夫は何も聞いてこなかった。
仕事疲れで傘の存在に気づいていなかったのかもしれない。
翌日、雨は降らなかった。
わたしは家を出発する前、例の傘を手に取り職場へ向かった。
天気予報は晴れ。
職場に到着し更衣室に入ると、私は光の速さで傘をもとあった場所に戻した。
そういえば数日前、夫がわたしと2人で人の良さそうなおばあちゃんの家に忍び込みドロボウをしようとする夢を見たといっていた。
おばあちゃんはボケていてわたしたちがドロボウで忍び込んだことに気づいていないらしい。夫は罪悪感からおばあちゃんにすべてを話して謝ろうとしたが、わたしは一目散に逃げて行ったといっていた。
もう二度と、傘を勝手に借りるのはやめようと心に誓った。